恋愛国家管理論 あらすじ
聖世は弁護士で法科大学院の実務家教員。若い時代に女性に裏切られた強烈な思い出がある。恋人の心変わりによる恋の終りは失恋ではないと聖世はいう。何年経とうが、どんな理由をつけようが、心変わりは裏切りだというのが聖世の持論。若者は、愛は冷めるもの心変わりは諦めるなどと余裕ぶる。
裏切りを許さない国であればこんな思いはしなくてもよいのに。聖世のその思いが国家恋愛管理法という大法螺と妄想の原点。冷やかされてもバカにされても聖世は擁護する。聖世は若者の正論を嘘くさいと切り捨て、その反論も撃破していく。妄想から出た法螺が格好いい正論に勝ってはならないのに、それを圧倒していく。
感情的ではあっても論理がないわけではない。反論されたとて破綻しない。それは、自分を裏切った女に向かって問い糺す聖世の口惜しさと怒りである。言い訳する学生らの向こう側にその女の顔を見据えている。純愛気取りなど毛頭ない。恋愛賛美とはおよそかけ離れている。
仕切るのは舞妓のつゆ魅。恋愛にまったく無垢の乙女が抜擢理由。さらに、仕事柄、お座敷では大人にも学生にも気後れすることはない。若くても人を見る目はある。浮世離れしている分、その言い様はストレート。たしかに話言葉はうざい。それでも想いを語るにはこれがいい。聖世の「あわれな理想」は、ふられ男の「情けない愚痴」を超えるかもしれない。
つゆ魅も学生も、聖世の話を聞くうちに、法螺話の法律論に託された聖世の想いに触れることになる。心変わりされた側の無念と口惜しさを想うことを聖世は説くが、果たして学生らに届いたのか。
聖世は、念ずれば逢える幻影の女に心変わりの理由を問い続けながら、この女が生涯ただ一人の想い人であることを繰り返し決意する。愛しいからではない。かつて好きと告白したのがこの女だからである。
告白を裏切る者は死刑。国家恋愛管理法第3条にそう定めたのは聖世である。