お ば け の 夜 噺
つ ゆ 魅
第一夜
よう知りまへんのどすけど、節分は「おばけ」というお遊びで花街が賑わいます。お話しするうちが、「よう知らん」では笑われまやろけど、かんにんしとぉくりゃす。そやけど、なんやいろんな言われ方がありますね。どれも、もっともらしゅうて、どれも怪しゅうて、本当のことはわからしません。そやさかいにおもしろいのかもしれません。あんまり真面目に考えん方がよろしおすね。
きょうはその節分どした。ほんまに寒かったこと。おばけの衣装まだもよう脱がんと、お部屋で縮こまってます。
え?うちどすか。すんまへん、申しおくれましたけど、うち舞妓で「つゆ魅」どす。いつもご贔屓いただいて、おおきに。どこの花街やて?ちょっとかんにんしとぉくりゃす。ご縁があって、お座敷に寄せていただいくことがあったら千社札差し上げてご挨拶させてもらいます。びっくりしはるやろけど、その節はよろしゅうおたのもーしますー。
今日は節分どすさかい、おばけの話もちょとだけさせてもらいますけど、うちがお話ししたいのはそないなことではおへんのどす。というても、うちのことと違いますえ。そんなん、しょうもないし、お耳よごしになるだけどす。舞妓なんて、みなさんからみたらほんまに子供どす。そやけど、有名なお方ともお座敷でお相手することもしょっちゅうどす。でも、なんにも気後れするようなことはあらしまへん。お座敷では、どなたはんも同じどす。いっしょうけんめいお相手して、舞をみてもらうのがお仕事どすさかい。そんな偉い人よりも、普通のお客さんがいろんなお話を聞かせてくれはるのがおもしろいのどす。けど、けっこう重たいお話もあります。いえ、普通に楽しーおしゃべりしているのどすけど、かわったお馴染みさんもいはるし、ご年配のお方が多いので、それはそれはいろんなお話を聞かせてもらいます。
花街とか揚屋・お茶屋さんの雰囲気って、ただ華やかなだけやのうて、ちょっと異界にいるような気分にならはるんやそうどす。ネオンなんかぜんぜんのうて、街のなかやのに通りを歩いたはる人も少のうて、三味線の音が聞こえたりするだけで静かなもんどす。ご贔屓さんと心やすうならしてもらうと、時々、なにげのう話してくれはることでも、うちらには理解を超えてるようなことがあるのどす。うちらがお相手してもお役にたようなことはなにもないとおもうんどすけど、お客さんも、ただ聞き手がいるというだけでよろしいんどすやろね、真顔でお話ししてくれはるんどす。もちろん、うちらが聞いたことはだれかにちょっとでもお話しするようなことはしないのがしきたりどす。ときどき、なんか深入りしたらあかんのと違うやろか、とおもうこともあるのどすけど、わたしの性格どすやろか、ついつい「それでどうしはったんどすか?」とか「なんでどす?」とか聞いてしまうのどす。芸ごとのほかは、なーんにも知らんもんどすさかい、お客さんもほとんど無防備で内々(うちうち)の話をしてくれはります。そやけど、それを胸の内にしまいこんどくのが時々しんどうなることがあるのどす。きょうはそれをお話しさせともらいとうて…。独り言どすさかい、聞き流してもろうたらよろしおす。節分ですよって、お座敷ぎょうさん廻って、そのたんびにお酒をいただきましたんで、ちょっと酔ってます。それにしても、おばけが終わった節分の真夜中というのは、ほんまに妖気がただようてます。はよ朝になってくれたらええんどすけど。
隠された遺書
うちをご贔屓にしてくれはるおにいさんで、会社の経営コンサルみたいなことしたはるお方がいはるんどすけど、ご本人は「素行調査もしてるんやでー。舞妓、芸妓の男関係もわかってるでー」とかいうては、うちらをからこうて喜んだはるので、うちは「探偵のおにいさん」と呼んだりしてます。「おにいさん」ゆうたかて、大学生のお子さんもいやはるご年配どす。うちらは、殿方はみんな「おにいさん」と呼ばしてもろうてます。「だんなさん」は別格どすけど、それはまたいつかということにして、その探偵のおにいさんから聞かされたお話が、今日みたいな節分の夜には思い出しそうになるんどす。
旧い年が新しい年に変わる節目が節分で、節分の夜には、なんかしらこの世と物の怪が棲む異界との空間に隙間ができるんやそうどす。その隙間から異界の魔物やら鬼やらがこの世に出てくるんで、豆まきしたり、おばけの変装したりして、厄除けするんやていうことどす。
仮装大会してるみたいで、それは賑やかなおばけのお座敷まわりが終わりますと、花街も寝静まってしんとしてきます。今年は寒い節分どしたけど、夜になっていっそう冷えこんできました。さすがに今時分になると、ふっと背中に悪寒がはしるような気がしたりするんどす。ひとりで焼酎のお湯割り飲んでからだを温めてるんどすけど、まぁ今年の節分の寒いこと…。
それは未だ建てかえはって新しいきれいなお茶屋さんの「弥生」に行ったときのことどした。お相手に呼んでくれはった探偵のおにいさんからお聞きしたんどす。弥生さんのカウンターはゆったりしていて落ち着いたとこで、うちはリラックスできるので気に入ってるんどす。お一人でお見えのときはカウンターでお相手させてもらいますけど、その日は、外は雨が強い日どしたから、他のお客さんはいやらしまへんどした。おにいさんといつものように冗談言いおうておしゃべりしてたんどすけど、お話が、奥さんがご主人に保険金をかけて殺さはった事件のことになって、悪い奥さんがいるもんやゆうてうちが憤慨してたときどす。
「あんな、つゆちゃん。世の中の夫婦って、相手が死んでくれたらええのにと思ってるくらいはざらやで」「そやから、何も保険金なんか目当てとちごうても、死んでくれるように仕向けるくらいは絶対しとうるで」
と、そのおにいさんが真面目な顔で言わはるんどす。
「そんなこともお仕事で調べはるんどすか?」
とお訊きしたんどす。探偵したはるなんて本気では思てしませんから冗談のつもりどしたけど。そしたら
「いや、そういうわけやないけど・・・」
と口ごもってしまわはって、それからは黙って水割のウイスキー飲まはるだけで、うつむいて何か考えこんでしまわはったんどす。うちも悪いこと言うてしもたんやろかと、内心ではちょっとしょげて、水割りのお代わりを差し上げるだけにして黙っていたんどす。だいぶん飲まはったんですやろか、ちょっと酔わはったみたいで、そやけど赤くはなってやらへんお顔をうちの方にむけて話し始めはったんどす。
「ある人が言うてたんやけどな、家で食べる食事の味がどう考えてもしょっぱ過ぎるといわはるんや」「その人は高血圧の持病があってな、塩分の採りすぎは注意しなあかんと十分知ったはるんやで。もちろん、そのことは奥さんかて知ってるはずや。そやのに、いっつも塩辛いものが出てくるんやて」
「奥さんかておんなじもん食べはるのどすやろ」
「ところが、その人はいつも帰りがおそいもんで、食事はひとりだけでするそうや。つくり置きのもんやな。そやから、奥さんが何を食べてるのかまったく知らんて言うてた」「おんなじもん出してるときでも、味付けは別にしてるんとちがうやろかと疑ってるんや」
「そんなこと、両方食べて確かめんとわからへんのとちがいます?」
「そら、その人かて『からい!』とか『もっと薄味にしろ』とかいうてるはずや」「そやけど、『お湯でうすめたらええやん』と言われてしまうそうや」
「ひどいお料理どすな。そんなん、食べられしまへんや」
「いや、なんぼ薄めても塩分の量は変わらへんやろ」
「・・・。そらそうどすけど」
「わかるやろ、じわじわ殺されてるんや」「血圧の高い人が塩辛いもんを食べるいうのは、砒素を少しづつ採ってるのとおんなじやて医者が言ってたの聞いたことがあるで」
「砒素て、あの毒カレー事件のときに使われた毒どすか」
「そや。いっぺんに食べさせたら即死するけど、少しずつ食べさせたらわからへんらしい。ナポレオンもこれで暗殺されたというくらいや」「塩は毒と違うけど、その人にとったら毒みたいなもんやろ。そやけど料理に塩を少しくらいようけ入れられたとしても、警察に言えるか」
「それやったら、奥さんの料理はいっさい食べんようにしなあきまへんね。なんで別れやらへんのどす」
「何を理由に別れるんや。そんな疑いをかける方が悪いことになって、慰謝料やら財産分与やら、ぎょうさん取られてしまうで」
「そやけど殺されるよりましどすやんか、なにゆうたはりますのん」「お金くらいあげて別れはったらよろしおすやんか。そんなんでグズグズゆうたはるなんて未練たらしゅうて嫌いどす」
うち、そないゆうたけど、もし、本当に死なそとおもうて、わざとしてはるんやったらぞっとしますね。知らん顔してお塩で殺すやなんて、絶対に捕まらんように考えたはるゆうことやし、タチが悪おす。そやけど、お金を惜しんだはるいうのが気にいりまへん。そんな場合やおへんやろに。奥さんに未練があるのならよろしいけど、お金に未練たらしいのはもっと許せまへん。
「そない怒らんでも…。わしとちゃうのやから」「その人が言うにはな、本当はそれが女房の狙いかもしれへんていうてはるんや」
「なんでどす?」
「そら、奥さんにしたら別れてもいいんやから」「だれが見ても無茶な難癖つけてるのは亭主になるやろ。そんな難癖つけたら、つけた方が悪い言われるのに決まってる。別れるのは当然やけど、慰謝料は男が払わなあかんやろ」「なんぼ言い訳しても、調停委員かて、裁判官かて奥さんの味方するで」「それでもええゆうのは、他人事やから無責任なんや」「つゆちゃんかて、時間がきたから座敷あがろとしたら『帰ったらあかん』言われて、『帰るんやったら花代は払ろたらへん』なんて言われたら、それでもええか」
「イヤやわー、そんな例えはちっともよーおへん。おにいさん、するんやったらもっと、えー例え話しとくりゃす」
「かんにんな。ちょっとわるかったな。そやけど、怒らせて一発殴らせるとか、厭味ばっかり言うてわざと浮気でもするように仕向けるとかしといて、別れ話の席ではとことん哀れな女のふりをしよるのもいよるで」「そんな女に金とられるのは、惜しいというより許せへんのや!悔しいのや!」
「いやー、おにいさん、気合はいってますやん。ご自分のことみたいどすな」
「そうか。わかるか。そこだけは自分のこともはいってるんや」
「そこだけって?浮気したはることどすか?」
「アホ。浮気なんかしてへんのに、してることにされて、厭味ばっかり毎日言われてるということや」
「火のないところになんとかと言いますやろ。そら、おにいさんがわるいに決まってます」
「わしのことはかまへんのやけど、やっぱりあの人は殺されたんかもしれん」
「えー!ほんまに亡くならはったんどすか」
「うん。あんまりこんな話はしたくなかったけど、わしも怖いようなことが続いてるし、無関係というわけでもないしな。聞かせてどうなるもんでもないけど・・・」
うち、びっくりしまいたけど、すぐに(このおにいさん、なにゆーたはるんやろ)と腹がたってきました。そうどすやろ、今までは『殺されるんとちがうか』とか『別れるにしたかてどうとか』とゆーてはったんどすえ。もう死んだはるんやったら意味ないどすやん。きっとつくり話でうちをからこうてはったんやとおもいました。
うちがちょっとふくれて睨んでるのに、おにいさんは気ぃつかーらへんのか、相変わらず水割りを飲んだはるんどす。お代わりしたらすぐに空けてしまわはる勢いどした。うち、喉が渇いてきましたのでお願いしたんどす。
「すんまへん。生ビールのお代わりいただいてよろしおすやろか」
「あ、すまんな、気ぃつかんで。飲んでや」「お姐さん、つゆちゃんにナマあげてんか」
というて、弥生でお世話してくれはるお姐さんに頼んでくれはりました。今日は女将さんは上のお座敷の方にいったはるみたいどす。
「おおきに。そやけど、なんやきょうのおにいさんおかしおすね。いつもやったら『未成年のくせに、舞妓がそんなに酒飲んだら逮捕されるぞ』とか言わはるのに」
おにいさんも苦笑いしてはりました。そやけど、やっぱり黙ったままで、手首を少し振ってグラスの中の氷をクルクル廻しながら考えこんだはるみたいどした。お姐さんが入れ直してカウンターに置いてくれはった生ビールの細長いグラスジョッキを持ち上げて、いつもどおり『おおきにー、いただきまーす』とゆうて一口いただきました。それでうちはちょっと落ち着いた気分になったんどすけど、おにいさんは相変わらずどした。
「そんで、そのお方はやっぱり奥さんのせいで亡くならはったんどすか?」
「どやろ?飲んで帰って、お風呂に入ってるときに亡くなったと聞いてる。心臓麻痺みたいなことやろな。いちおう事故死ということになってるけど、別に警察が動いてるわけではないし。まさか、こんな疑いがあると訴え出ても相手にはしてもらえへんやろな」
「奥さんの勝ちどすか」
「そやけど、奥さんが本当にそこまで仕組んだかどうかは、わからへんしな」
「でも、塩のお料理食べさせたはったんどすやろ」
「もし、そうやったら狙いどおりやけど、そんなにうまくいくやろか。風呂での事故は当然あり得ることやし」
「そう思います。なんぼなんでも殺人やなんて、考えられしまへん。なんでそんなことまでしんならんのどす」
「いや、わしは奥さんとのことはいろいろ聞かされてたんや。だから、あり得ることやと思うてしまうんや」
「なんどす、それ?」
「その人はな、今の奥さんとは別れたかったんやけど、奥さんが財産の全部を要求して譲らへんかったんや」
「そんなこというても、一回は好きやゆうて結婚しはったんどすやろ。別れたかったら仕方おへんや」
「簡単に言うてくれるけどな、そんなに簡単に割り切れるやろか。そこまで裸にされなあかんのやろか」
「慰謝料とかが惜しいんどすやろ。ほな、ゲキマズのダダカラお料理食べて死なはるまで添い遂げはったらよろおすやん」
「そらきつい。ほんまにそう思うか?」
「そんなことあらしまへんけど、イライラしますねん」
「きついなー。そやけど、さっきもいうたように金が惜しいというわけではないんや。それに、財産の半分はもうとっくに奥さんの名義になってるそうや」
「そんなら、奥さんかてもう十分やろし、裁判してでも離婚しはったらよろしいんとちゃいますの」
「裁判がちょっとできひん事情があってな…。それに、財産も残り半分まで取られるわけにはいかん事情があるのや」
なんやしらんけど、すっきりしまへんね。うちらにはわからしません。
「そやけど、なんでそんな奥さんと結婚しはったんどす」
「自己責任と言いたいんやろ。たしかにそうなんやけど、そんなこというたら離婚事件なんてみんなそうなるで」「それはともかくや、くわしいことは言わうらへんかったけど、たしか指導教官やった時の生徒さんとできてしもたということらしい」
「なんどすか、それ?」
「うん、この人はお医者さんでな、大学病院にも週のうち2日ほど勤務医で勤めはったんやけど、そのときに実習生できていたのが今の奥さんなんや。看護師を養成する学校があるやろ、そこから実習に来ていた生徒や。看護婦の卵やな」
「いややわー。そんな若い娘さんとどすか。セクハラですね」
「しかも、れっきとした妻帯者やったからな、完全に不倫やな」
「弁解の余地あらしまへん」
「まあ、先生も若かったし、ちょっとしたはずみで関係してしもたらしい。まあ、ヒッカケられたんやろな。それをネタに結婚を迫られるわ、噂になるわで、元の奥さんがまいってしもて自殺してしまうのや。そして、大学病院も辞めさせられて、結局は嫁さんにせざるを得んようになったということや」
「その先生、ムチャクチャあかんたれどすね。それとも、やっぱりその女性が好きどしたんか」
「さぁな…。ただ、好きでいっしょになったわけではないのだけは確かや。初めから夫婦仲はよくなかったと聞いてるけど」
「今、いわはったけど、前の奥さんは自殺されたんどすか。その先生の責任どすね。それやのにその女性と再婚しはるなんて最低どす」
「だから、罠にかかったようなもんやというてるやろ。しとうてしはったんと違うのや」
「好きでもないのに結婚しはったんどすか?いやいや結婚しはったんどすか?それやったらなお悪いのとのちがいますか?」
「かなわんなー。いちいちごもっともやけど、抜けられないように仕込まれてるのが罠やろ。かかったら、逃げられないし、あがいても深みに落ちるだけなんや。そうして、こうなって、こうなるゆうことや」
「よう、わからしまへん!」
「わからんでもしかたない。ただし、わしらもそれなりの手は打ってある」
「どんな手を打たはったんどすか。そんなん、死んでしもたらみんな奥さんが相続しはるんですやろ。おくさんの思う壺ですやん」
「そこまで言われたら、話さんわけにもいかんから言うけど。・・・実はな、遺書を書いとくことにしたんや」
「ゆいごんしょっていうもんどすか」
「うん、まぁそうや。公正証書遺言なんかと違うて自分で書いた遺言書やけどな」
「どう、違うんどす」
「いや、効力はおんなじやけど、家庭裁判所で検認いう手続きをしてもらう必要があるんや。相続人みんなに集まってもろて、そこで内容を確認するんや」「なんや、難しい話になってきたな。わしは弁護士と違うさかい、あんまり正確なことは知らんで」
「かましまへん。それで、その遺書にはどない書いてあったんどす?」
「そこがカンジンカナメのとこや。子供を認知することと、その子に財産の全部を遺贈することと、奥さんを相続人から廃除すると書いてあるんや」
「えーっ!なんですって!隠し子がいはったんどすか?」
「まだお腹のなかやけどね。よっぽど奥さんとは冷たい関係になってたんやろな。彼女がいるのはバレてたらしい。もちろん、さっきいうたみたいに別れ話もしてたんやけど、離婚するなら財産全部を慰謝料とか財産分与でよこせという要求をされたわけや。奥さんにしたら願ってもない口実ができてたんやろな」
「そやけど、死んでしまわはったんどすやろ、残された女の人と赤ちゃんはどないなるんどす」
「だから、その生まれてくる子供に財産全部を相続させるという遺言にしてあるのや」
「ほな、奥さんはなんにももらえへんのどすか」
「遺言だけやったら遺留分というのがあって、奥さんも四分の一は権利があるんやけど、それやったら困るやろ。そのために廃除するとも遺言書に書いてあるんや。彼女にではなくて、胎児に相続させるか遺贈するということにしたのも、これはウルトラCやと思ってたんやけどな…」
「廃除ってなんどす?」
「簡単にいうたら、相続人にあるまじき行為があったから相続させないという遺言するひとの宣告みたいなものらしい。被相続人を虐待したとか、侮辱したとかの非行があったときに認められるんや。どんな仕打ちをうけてきたかは、遺言書にしっかり書いてあるはずやけど。そのために、公正証書ではなくて自分で書いたんやろな」「ともかく、それで奥さんの相続権も遺留分もなってしまうのや。そやから、認知された子供さんが全財産を相続することになるはずやったんや」
「それがウルトラCなんどすか」
「いや、それだけやのうて、愛人に財産を全部あげるなんて遺言書だったら『公序良俗に反する』という理由で無効になるおそれがあるんやけど、子供にあげるのやったらそうでもないやろ」
「なんや難しおすね。その『公序良俗に違反する』とかいうのはどういうことどす。不倫したらいけませんということどすか」
「不倫はしてもいいけど、法律は保護してくれへんいうことや」
「おにいさん、不倫したはるんどすか?『してもええ』とは、どういうことどす」
「してへん、してへん。そやけど、不倫したかて犯罪になるわけやないやろ」
「それと遺言が無効になるのとどんな関係があるのどすか」
「まあ、関係ないな」
「もー!はぐらかさんといとくりゃす」
「すまん、すまん。しかし、わしも本当はようわからんのや。こんど、弁護士の先生に聞いとくわ。ただな、日本は一夫一婦制やろ。それやのに、奥さん以外の女性と関係するわ、おまけにその人に財産全部をあげるなんてことは社会が認めへんということと違うやろか」
「そらそうやとおもいます。そうでないと奥さんがかわいそうどす」
「そやけどな、なにもそれで彼女との関係を続けさせようという魂胆と違うで。だいいち、別れとうても別れてくれへん奥さんこそ財産目当てでつながってるだけとちがうか」
「そんでも、夫婦してはったんやから、きっちり出すもんは出して別れはるべきどす。浮気しておいて勝ってすぎしまへんか」
「出すもん出せいうたかて、ほかの女性にはしらせたんは嫁はんの方やで。どんな形だけの夫婦でも不貞は不貞やというのか?それは違うと思うな」
「そら、殺されそうにまでならはったんやったら、わからんでもないどすけど」「そのお医者さんの先生、どうしても奥さんには財産を渡しとうなかったんどすか」
「そうなんやろな。財産が惜しいというよりも、こいつの思いどおりにはさせへんという意地やろな。わしもそれがわかるからいっしょに考えて、そういう手を打っておいたんやけど、ほんまに死んでしまうとはな」
「アホどす!」
うち、おもわずゆうてしまいました。死んでしまうなんてアホやとおもいますけど、馬鹿にしたわけやおへん。そら、かわいそうやとおもいます。そやけど、おにいさんは情けなさそうに言わはるんどす。
「そや、わしはアホや。遺言書なんか意味がなかった」
「え?なんでどす?」
「もし、つゆちゃんやったら、そんな遺言書を見つけたらどうする?だれも見てへんとこで見つけたんやで」
「いややわー。そんなワル女にしんといとくりゃす。そやけど、そんな悪い人やったら都合の悪い遺言書は隠さはるんと違いますやろか」
「そうなんや。実際、検認も何もしよらへんのや。まあ、自分にはとことん不利な内容やからしょうがないけど」
「そんなこと許されるんどすか」
「もちろんあかんのや。遺言書を隠したりしたら相続の欠格いうて、やっぱり相続権は認められへんのや」
「そやけど、どこにもなかったゆうて押し通さはったらどないなるんどす。隠してはるって証明できるんどすか」
「つゆちゃんは賢いな。そのとおりや。ないというたかて、見つからへんだけかもしれんし、隠してることにはならへんもんな」
「ほな、どないしはるんどす」
「多分、もう燃やてしもたと思うで。見つからんやろな。そやけど、それを証明するなんてとうていできんことや」
「なんでそのお方は彼女に遺言書を預けやらへんかったんやろ」
「彼女が嫌がるのがわかってたんやろな。そんなことで喜ぶ女性やなかったし、逆に、もしそんなことになったら、どんだけ先生の奥さんを悲しますやろと気遣うような女性なんや。本当は悲しますどころか、もっと恨まれてるやろけど」
「お二人ともアホどすね」「でも、生まれてくるお子さんはその先生の子供さんに違いないのですやろ」
「それはそうやけど、認知をしてもらわんことには法律上の親子にはならへん。その認知をしてあるのが遺言書やったんやけど」
「裁判したら親子と認めてもらえるんちゃうのどすか。うち、聞いたことありますけど」
「つゆちゃんがいうてるのは親子鑑定のことやろな。親の方が自分の子供と違うなんていうて争う裁判や」「この場合でも、子供が生まれたら、お母さんが子供に代って検察官を相手にして認知の裁判もできたんやけど・・・」
「そんなことしとうないと言わはるんどすか。そうゆうお女やとはおもいますけど」
「そやのうて、倒れはったんや。先生が死んだショックで心労がきつかったんやろな。脳溢血やった」「未だ生きてはいるけど、ほとんど脳死状態やから、なんにもできひんやろ。弁護士さんもそんな状態の人からは委任を受けられへんから動けへんのや」
「なんちゅうことどす!」
うち、そのあとの言葉がのうなってしまいました。怒りもします。このおにいさん、いったい、何をしてはったんやろ。奥さんだけが財産を全部相続して、遺言書隠したことも咎められんと、旦那さんがしたことが全部無駄になるやなんて…。なにが『ウルトラC』どすねん。アホどすやんか。
「赤ちゃんはどうならはったんどすか?」
「それが奇跡なんやな、なんとかお腹の中で成長してるんやて」
「いやー、すごーい!よかったどすねー」
「病院の医者がいうには、このまま成長していけば出産までいけるかもしれん。そやけど、その後は奥さんの脳死判定をすることになるやろということらしい」「そら、亡くなったお母さんから赤ん坊が生まれるわけにはいかんしな」
「そやけど、生まれはっても遺言書がないとお父さんの認知はできひんのどすか」
「うーん。弁護士さんに聞かんとわからへんけど、なんとか手はあるかも知れん」「そやけど、かまへんね。無事に生まれてくれさえすれば、なんとかなりそうなんや」
「またドンデン返しどすか。今度は喜こんでもええのどすか?うち、疲れましたえ」
ほんとに疲れましたんや。こんなお話はええことおへんけど、途中でやめられしまへんやろ。どんどん、のめり込んでいきそうで嫌なんどすけど。
「これがうまくいけばウルトラEかもしれんで」
「また、そんなことゆうてはる」「そやけど、なんでおにいさんは先生の遺言書の中身まで知ったはるんどすか」
「わしが紹介した弁護士の先生に教えてもろて書かはったし、わしも一緒に相談してたから内容は知ってるよ」
「まちがいないのどすか?ほんまに、今言わはったとおり書いてあったかどうかわからしまへんやろ」
「それがな、葉書で、遺言書と同じ内容のこと書いて彼女のところに送ってあったんや。『こういう遺言書を書いておいたから安心してくれ』と知らせておきたかったんやろな」「そのうえ、『もし遺言書が見つからなかったら女房が隠してると思え』とまで書いてあるんや。遺言書を隠されることまで予想してたわけや」「わしは彼女からその葉書を見せてもろたから確かや」
「そやけど、それだけで遺言書が在ったことになるのどすか」
「推測はできるけど、それだけで、あったとか、隠したとかまでは断定できひんやろな」
「そんなら、どうなるんどす?」
「その葉書がものをいうのやて弁護士さんがいうてた」
「どんなふうに?それが遺言書になるのどすか」
「そうはいかんけど、おんなじような効力があるかもしれんと先生がいうてた。『もし自分が死んだら、生まれてくる子供に財産全部をあげるという内容の遺言書をつくってあるから、貴女も子供のために承知しておいてくれ』と葉書に書いてあるのを見ている。これは死んだら効力が発生する条件付きの贈与になると弁護士は言ってた」
「そんな葉書がいつ来たんどす」
「うん。わしもびっくりしたんやけど、亡くなるちょと前に彼女のところに届いてたということや」「彼女は、子供と自分に対する先生の思い遣りと受けとめてたらしいんやけど、まさか先生が死ぬなんておもってなかったから気にせんでいたそうや」
「葉書でも遺言書みたいになるやなんて知りませんどした」「それに、お腹のなかにいる赤ちゃんでも財産を貰えるやなんてびっくりどす」
「問題なしとは言えんそうや。しかし、彼女が倒れる前で、しかも先生もまだ生きてる時やったから可能性はあると言ってもろてる」「どちらかでもズレてたら完全にアウトということらしい。そういう意味では、両方とも神さんが見捨てんかったんやと思いたいね」
「なにゆうたはりますの、お二人ともそんなことになってるのに。神さんがいたはるんやったら、そんなことになりまへんやろ」
「いや、今からが神さんがいるかどうか試されるんや」
「なんでどす?」
「ともかく、赤ん坊が無事に生まれんことには、葉書も無駄になるそうや」「そらそうやな。財産を贈与してもらういうたかて、人間でないと、どだい権利者にはなれへんのはわかる。ちゃんと生まれて来んことには、元々いなかったのとおんなじになるのやから…。もし、そんなことになったら、それこそ神も仏もないと思わへんか?つゆちゃん」」
そんなこときかれても…。神さんがいたらどうしてくれるというのどす。その赤ちゃんは生まれるのが幸せなんやろか。お母さんもお父さんも生きてないのに、いくらお父さんの財産がもらえるいうたかて、嬉しいことなんか絶対にないとおもいます。お金をもらえるようにするのが神さんですやろか。そやけど、奥さんだけが財産を全部もらわはるいうのも許せへんような気ぃします。神さんがいはるとしても、まさかこの奥さんの方に味方しはるとは思えへんどすけど。
「おにいさん、教えとーくりゃす。神さんか仏さんがいはるんやったら、赤ちゃんは無事に生まれはるんどすか?」
「・・・難しいこと聞くなぁ。生まれてこん方がええと思うてるんとちがうか?」
「うちはそう思いますけど」「だれに育ててもらわはるにしても、お金持ったはることで、かえって不幸なことにならしまへんやろか」
「奥さんの恨みも一身に受けるやろしなー」
「それは神さんが護ってくれはるんとちゃうのどすか」
「きつい皮肉言うなー。そんなら、亭主も赤ちゃんも優しいお母さんもみんな死んだのに、カネの亡者みたいな女の方が高笑いでもいいんか?それが神・仏のおぼしめしゆうことか?」
おにいさんは、やっぱり納得できひん口ぶりどした。うちかて、そない言われたら返す言葉がおへんどす。そやけど、ひょっとしたら、神さんも仏さんも入りこめへん魔界みたいなとこがあんのとちがいますやろか。執念とか怨念とかが人の生き死にを決めるような恐いこともあるんとちがいますやろか。うち、そんなこと思うたんは初めてどすけど、だんだんそう思うようになっていったんどす。
そのおにいさんとのお話は一旦ここで終わりにさしてもらいます。続きがあるのどすけど、まだまだきしょくわるいことになりますよって、後にさしてもらいます。そやけど、ふとおもいまいした。節分の夜もきっと神さん、仏さんがいやらへんようになって、異界の妖怪が出てくるのとちがいますやろか。
おもいっきり熱うしたお湯で焼酎を割って飲んでますのやけど、あんまし静かどすよって、気分が沈んでいくようどす。びゅうーっていう風の音がもろに聞こえます。ほんまに、だれもおきてへんってどういうことどすやろ。しこみさんも眠てしもたんやろか。あ、戸が風にあおられて「がたっ!」っていいました。しみじみ、さみしゅーて寒おす。あつーいお白湯をお湯呑みにいれました。焼酎をストレートで飲んだ後にそのお白湯を飲んだら、喉から下が焼けそうに熱うなるんどすけど、あいかわらず背中がゾクッとするんどす。節分って、鬼だけやのうて、魔界の魑魅魍魎が出てくるときどすやろ。ひょっとしたらすぐ傍にいるんやろか。外の石畳の道を勢いつけて走っていく風が、玄関だけやのうて、おうちの中の仕切戸まで揺すっていかはります。ガタガタッという音が気味悪う感じます。この音を聞いてたら、あの弁護士先生の話を思い出しました。
貧乏神さん
この神さんのお話は、うち好きどす。
それに、これからお話する弁護士の聖世先生のお話どす。短いお話どすよって、こちらで読んでもらえたら嬉しおす。➡ 貧乏神さん
これからお話しするのとは、だいぶ違うのどす。かんにんどす。あのおにいさんのお話の続きどす。
この先生の貧乏神さんくらいやったらいいんどすけど、うちのいるこの屋形は、今日は雪女でもいるんどすやろか。どうにも冷えてしょうがあらしまへん。疲れてるのに頭が冴えてしもて、眠る前に温まるつもりで飲んだ焼酎の酔いのせいどすやろか、いろんなことを思い出すんどす。外は風もきつうて、雪になったみたいどす。
相 続
あの亡くならはったお医者さんの遺産をめぐるお話の続きどすけど、随分してからあのおにいさんが呼んでくれはったんで、「弥生」さんへ行ったんどす。
その日は、ほんまにいろんなことがあって、もうくたくたどした。このお話をすると、それだけで夜が明けてしまうくらいぎょうさんのことがありますよって、くわしいことはお話できませんが、行った先は、京都でもずっと北の方の山中にある旧いお屋敷どした。いえ、正確にいうと、朝早くからお迎えの車でそこに向こうて出かけたんどすけど、途中でうちの気分がわるうなって、気絶してしもたんどす。それで、お屋敷には行かずに戻ってきたんどす。もう、なんともないのどすけど、呼ばれた理由が、なんともきしょくわるうて・・・。なんでも、亡くならはった息子さんの法事のお席で、この日だけはその息子さんのお嫁さんにさせられるということどした。そんな話を運転手さんから聞いて、車酔いもあって、うち気絶してしもたんどす。、なんやいろんなことがいっぱい絡みおうて、そないなことになったんどすけど、さいわい呼んでくれはったお屋敷の方も、きょうはもうこんでいいからというてくれはったんで、戻ってきたんどす。うちを介抱してしてくれはった若い運転手さんの機転で、無事に帰れたんどす。あの運転手さんの素敵なこと。うふ…。
そんなことがあったもんで、帰ったんも遅かったんで、寄せてもろうたんもかなり遅い時間どした。
弥生さんに寄せてもらうと、おにいさんはうちよりも若い舞妓さんを侍らして飲んだはりました。そやけど、どこか精彩がないように見えたんどす。
「よぉー、相変わらず売れっ妓やなー。なかなか来てもらえへんさかい、今日は来てくれるまで待たしてもらうことにしてたんや。それまで宵春ちゃんにお相手してもろてたんや。ほんまによう来てくれたな、おおきに」
一緒にいた舞妓の宵春ちゃんが椅子から立って
「こんばんはお姐さん」
と挨拶してくれはりました。うちより後で舞妓にならはったから、うちは「お姐さん」どす。でも、ここの弥生さんの女将さんは現役の芸妓さんどすさかい、うちはそっちの方に挨拶します。
「おおきにー、お姐さん、おそうなってすんまへん」
「おいでやす。おにいさんがつゆちゃん来るのずっと待ってはったんえ」
「おそうなってすんまへん。しばらくどしたけど、おにいさんもお元気どしたか?」
「そうやなー。ずいぶんご無沙汰やったなー。つゆちゃんに忘れられたかと思ってた」
「そうどす。忘れるくらいご無沙汰どした」
「いろいろあってな。きょうは報告しにきたんや。つゆちゃんはこの前の話憶えてるか?」
うち、おにいさんが呼んでくれたはるって聞いたときから、今日はその続きの話が聞けるやろなと思うてました。
「へえ、憶えてます。その後、お母さんと赤ちゃんはどうならはったんどすか」
「よう憶えといてやな。うん、赤ちゃんはなんとか生まれたんやけど、やっぱり超未熟児で、実際のところは生きていると言えるのかどうかさえ問題なくらいやったんや。結局、その日に亡くなったんやけどな、病院にお姉さんが来られてて、出生届をするかどうか迷わはったくらいなんや」「結局は生まれた赤ちゃんの生きてた証として届出をすることになったんやけど、それがまた間一髪のところで人の運命を変えてしまうことになるみたいや」
「亡くならはったんですやろ。それなのにどすか?」
「憶えてへんか。医者の先生は、葉書で子供に財産を全部あげるという遺言を書いてたと言ってたやろ。それを受け取る本人が先ず人間として生まれてくれなあかんわけや。葉書がお母さんのところに着いたところで、お母さんはお腹の赤ちゃんの代理人として承諾したということも言えんことはないそうや。遺言とは違うけど、死んだらあげるという『死因贈与』という契約が成立していると言えるかもしれんということやった。もっとも、これはすべて弁護士さんの請け売りやけどな。弁護士さんも、絶対に大丈夫とまでは言えんけどと、言葉はにごしたはったけど」
お父さんが遺言書を書いて亡くならはったお医者さんで、その愛人の女性が赤ちゃんのお母さんどす。お母さんは赤ちゃんがお腹のなかにいはるときに倒れはったんどす。遺言書を隠さはったんが先生の正妻さんどす。
「そやけど、その赤ちゃんが亡くならはったんどすやろ。そしたら、どうなるんどすか」
「その場合はお母さんがたった一人の相続人になるんや。たった数時間でも、生きて赤ちゃんが生まれたから先生の財産をもらえたことになって、お母さんはそれを相続したことになるそうや、母親が胎児に代わって財産をもらうのを承諾できると認められた場合はと釘をさされてるけどね」
「ふうん、そうなんどすか。ほな、お母さんは回復しはったんどすか?」
「それが…、やっぱり亡くならはった」
「えー!かわいそう!なんでそんなことばっかり起こるんどすか」
うち、おもわず大きな声出したんで、女将さんも、宵春ちゃんもびっくりしはりました。それがどんな意味かわからへんでも、赤ちゃんとお母さんが相次いで亡くならはる話やなんて、やっぱりショックどしたんやろな。宵春ちゃんは泣きそうな顔したはりました。それで、女将さんが
「はるちゃん。もう遅いさかい帰らしてもらい。つゆちゃんが来てくれたし、おにいさん、よろしおすね」
「ああ、おおきに、お疲れさん」
と、おにいさんは生返事してはりましたけど、ほとんどウワノソラどした。
「ほな、お姐さんおさきーどす。おにいさん、ごゆっくりどうぞ」
と挨拶して宵春ちゃんが帰らはって、それを女将さんがおくっていかはりました。うちとおにいさんだけが残ってたんどすけど、おにいさんは青白い顔でロックの焼酎をあおるように飲んだはるのどす。合間にグラスをじっと覗き込んだりしてはりました。
「ほな、そのお医者さんの財産は結局だれがもらわはることになるのどすか」
「相続人は彼女のご両親やな」「そやけど、ご両親は娘がそんなことになってるなんてまったくご存知なかったし。恨んだはるやろな、彼のことは」
そらそうどすやろね。大事なお嬢さんが奥さんのある男はんの子を身ごもって、そのお方は亡くなるわ、お嬢さんも赤ちゃんも結局は亡くならはるんどすさかい、ほんまにやりきれまへん。そんなんで相続した財産なんて、だれもほしないとおもいます。
「なんでそんなことになったんどすやろ・・・」
「うん。つゆちゃんもそう思うやろ。なんぼなんでも、そんな不幸が続くなんてあり得んことやと思わへんか」
「なんぞわけがあんのどすか?」
「うん…。その前にな、わしは先生の財産を奥さんが相続するのだけは何とか阻止しんならんとおもうてきたんやけど、ひょっとしたら、それは間違いやったかも知れんとおもうてるんや」
「なんでどす?悪いのは奥さんで、お医者さんの先生はかわいそうなお人と違うのどすか?」
「そう、思ってたんやけどな・・・。それに違いないんやけど・・・」
「おにいさんが相談にのってあげはって、奥さんには取られんで済んだんでっしゃろ。亡くならはったお方の想いだけは叶えられたんとちがいますの」
「実はな、ちょっとのめり込み過ぎたとおもうてるんや。というか、してはならんことまでしたんやないかと気にしてるんや」
「どういうことどす」
「さいわい、今はだれもいてへんから言うけど、赤ちゃんはもしかすると死産やったかもしれんのや。そやけど、担当のお医者さんは、お二人のこともよう知ってたし、わしもこころやすい仲やったんで、半日ほどは治療をつづけてもろたんや。つまり、その間は生きてたことにしてくれたと言えんこともないのや」「お姉さんには、お名前だけでもつけたげてくださいとお願いした。結果的には、出生届と死亡届を同時に出すようなことになってしもたけど」
うち、それを聞いても、そんな悪いことのようには思わへんどした。倒れはったお母さんのお腹のなかで生きたはったんやから、お名前くらいつけたげてもいいとおもいます。それに、遺言を無駄にしんとこというおにいさんらの気持ちもわかります。
「お医者さんが治療してはったんやから、生きてまれはったことになりますやんか。気にしはることおへんのとちがいます」
「いや、無理に生きさせたのがあかんかったんや。というより、もともと、彼女とか赤ちゃんがあの人の財産と縁を持つのが間違いやったんや。彼女が望んでたように、遠ざけてしまわなあかんかったんや。嫁さんが欲しがるのやったら欲しいだけやればよかったんや」
「えらい話の風向きが違うてきたような気がしますけど、なんでどす?」
「あの先生の財産は呪われてるんや。そやから、こんな不幸が次々とおこるんや」
「それはまた非科学的なことどすね」
うち、そないゆうたけど、馬鹿にしたわけでも、笑いもんにしたわけでもおへん。ものすごう、きしょく悪い話にはちがいないですよって。
「非科学的といわれても、わしは、今度のことでは呪いとか怨念を信じるで」
「なんで、そんな呪いがあるんどすか」
「遺言書の下書きをつくった弁護士の先生から聞いたんやけどな、このお医者さんの財産いうのは、全部とはいわへんけど、かなりが自殺した前の奥さんの生命保険金らしいのや」
「財産ゆうたかて、もらわはった保険金なんどすか」
「いや、ものすごく仕事はできる人で、事業家としては一流なんや。財もしっかりつくらはったんやけど、子宝には恵まれなかったんやな。そんなこともあって、ちょっと寂しかったんやろな、心の隙間につけ込まれたみたいになって看護学校の女の子とできてしもたということらしい。それが今の奥さんやけどな」「そのことで前の奥さんがおかしくならはって、病院に入院したりもしてはったらしいけど、ぐずぐすいうてて、4年ほど前に自殺して亡くならはったんや」
「そやけど、先生には子たちがいやらしまへんかったんですやろ。保険金かて全部もらわはってもよろしおすやんか。保険を掛けられてたんはきしょくわるおすけど」
「そこなんやが、どうも金額が普通ではないくらいの保険にはいってたということや。保険会社も疑うたらしいけど、契約者が殺したんでもない限り支払われるそうや。自殺でも、保険金目当てのものでなければOKなんやて」
「奥さんはほんまに自殺しはったんどすか?」
「薬の量をまちごうて呑んだんやろということになってるけど」
「そんな…。浮気して病気になるほど追い詰めといて、薬をのまんならんようにしたのはその先生どすやろ。そのお薬かて、そんな間違いせんようにちゃんと管理してあげなあかんのに、何したはったんどす。殺さはったんとおんなじどすやん!」
「怒りとうなるやろ。だからや、元の奥さんの恨みというか、怨念が死亡保険金にとり憑いてたとおもわへんか」
「前のお話では、今の奥さんの執念がものすごうて、なんとかしんとということやったんとちがうんどすか?」
「そっちばっかり目を奪われて、なんとかしたげんならんとばっかり考えてたけど、先生の財産のことまで知らんかったんが失敗や」「今から思うと、その前の奥さんの怨念が怨霊になって今の奥さんにとり憑いて、じわじわと亭主を殺すように仕向けていったんとちがうやろか。亭主に新しい女ができて、しかも初めて子供も授かったなんて、奥さんもやけど、何よりも怨霊が許さへんのと違うか」
「ちょっと待っとうくりゃす。それやったら、その女性も子供さんも相続なんかしん方がよかったということどすか」
「そうやろ。つゆちゃんもそう思わへんか。わしは、奥さんが遺言書を隠しよった時点で、せっかく怨霊を全部引き受けてくれたのに、わざわざ取り込むようなことをしてしもうたんや」「あのとき、なんにもいらんという彼女のいうとおり、葉書なんか捨ててしもたらよかった。そしたら、生まれてくる子供が奥さんを差し置いて財産を横取りするようなかっこうにはならんで済んだんや」「そしたら、死なされるようなことにはならなかったんとちがうやろか。いや、そもそも彼女が倒れたんも、あの男が遺言書を書いたからやと思わへんか」「それやのに、わしは無理に赤ん坊を生きてたことにして怨霊を引き取ってしまうようなことまでしたんや。そして、それを彼女が引き継いで、こんどはそのお姉さんとご両親が引き継いでしもうたんと違うやろか」
おにいさんは、なんか胸に痞えてるもんでも吐き出すように言わはるんどす。うちかて、次々にそんなご不幸が続くのを聞くと偶然には思えしません。そやけど、まさか怨霊とか呪いがしたことやなんて・・・。
「そんなら、今度はご両親になんぞ不幸なことが起こるんどすか?」
「それだけは堪忍してほしいんやけど…、もちろん、そんな男の財産なんか欲しいと言わはることはないと思うけど」
「そうどすやろねー。そやけど、そんな財産を相続したことさえ気がついたらへんのとちがいますやろか。なんにも知らーらへんかったら、そのままやったんとちがうんどすか。
「うーん。なるほど、つゆちゃんの言うとおりかもしれん。葉書のことかて、どんな意味があるのか本人さえ知らんかったはずやし、現物はわしが預かってるし、遺言書とか葉書のことさえこちらが言い出さへんかったら、先生の遺産にかかわらへんで済むかもしれん」「もちろん嫁さんは全部相続できるので文句ないやろし、今さらご両親が子供の認知を要求することもあり得ないし…」「うん、よかった。きっとこれで大丈夫や」
おにいさんはひとりで勝手に納得してはります。
「ほな、奥さんはどうもないんどすか?怨霊が悪さすることはないんどすか?」
「そら知らん!」「そやけど遺言書を隠してまで全部取り込んだやんやから、どうなってもしょうがないやろ。金の亡者と怨念やったらええ勝負やろな」
そんな他人事みたいな言い方したはりましたけど、うちはまだまだきしょく悪いのが抜けしまへんどした。その時、おにいさんの携帯の着メロが鳴りました。
「もしもし…。あ、先生、このたびはありがとうございました。・・・ええ、もうこの件ではだれも動かないことにします。・・・ええ、葉書ですか?私が預かってますけど、捨てたら駄目ですか?・・・はあ、そうですか。・・・わかりました。そうします」
電話はすぐに終わらはったんどすけど、おにいさんゆうたら浮かんお顔してはるんどす。
「弁護士の先生からやった」「先生も、もうあの人の相続なんかにかかわらんよう言わはるんやけど、葉書は死んだ彼女と子供に来たもんやから、いちおう相続人のご両親らにお見せしんとあかんみたいや」「そやけど、そんなことをしたら、またご両親らが怨霊を引き継ぐことにならへんやろか…」
「おにいさんが持ってはったんどすやろ。そやけど、どうもおへんかったんやから、心配ないのとちがうんどすか」
「いや、わしはあの医者の財産をもらうような関係にないからどうもないんや。財産に憑いた怨念とか執念は、その権利を持ってる人間に悪さしよるんや。わしらは他人やからどうもないんや」
「なんや、わかったような、わからへんような。そやけど、ご両親かてそんなもんいらんと言わはりますやろ。どうもおへんのとちがいますか」
「それやったらいいんやけど…」
ほんまに、これで終わったらよかったんどすけど、おにいさんの心配が的中してしまうことになるんどす。そやけど、なんぼなんでも今夜はおそうなり過ぎました。ちっともからだが温まらしまへんけど、ここらでやすませてもらいます。節分の「おばけ」は明日もあるんどす。明日も忙しおす。
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