生涯読み続ける三冊 プラス
① 「天の夕顔」 中川与一 新潮社
② 「青春の墓標」奥 浩平 文藝春秋
③ 「男おいどん」松本零士 講談社 コミック一巻~九巻
理由
① 「天の夕顔」 中川与一
硬派の恋愛ものがわりあい好きです。単に切ないだけの純愛ものは一過性で終わりますが、この小説は、また読んでみたいと思わせるてくれる一冊です。何年かごとに読み返しますが、そのたびに、「わたくし」が「あなた」を待ち続けた五年の歳月がさほど長くはない、そして幸せな日々であったのではないかと思うようになりました。とうてい叶わないはずだった想いが現実のものになる可能性があるなら、「わたくし」には希望と期待があったはずです。それは可能性があるから持てたのです。一日が過ぎるたびに想い人に近づけるのなら、五年の歳月などいかほどのものでしょうか。歳の差も身上に係る枷も越えて実る恋など、たとえ望んでも一片の可能性さえないのが現実ではないですか。今では、夢は砕かれるために持つもの、期待の先にあるのは失望でしかないこと、希望とは絶望するためにこそあるとわかってしまいました。待ち続けた五年間の最後の日に「あなた」が逝ってしまう結末は「望めば叶わぬものはない」なんてマッカな嘘だということを暗示しているのだと思います。夜空にひとすじの火線を昇らせて、一瞬の間合いを置いて大きな花弁の輪が散る花火が好きです。この小説のフィナーレを思い出させてくれるからです。
② 遺稿集です。奥浩平は、ぼくと同世代、日韓条約粉砕闘争、原潜阻止闘争時代の学生運動活動家です。二一歳で自殺しますが、思想よりも、ノートにつづられた中原素子、一方通行の彼女への手紙から、彼女こそが自殺のライトモチーフであることをだれもが知ります。現在では考えられないような不自由な恋、想いを伝える術がことごとく閉ざされていく彼の焦燥感はぼくの波長に合いました。党派の違いが彼女を拒絶させているのだと総括しながら、彼女への手紙は、マルキストの誇りでどれだけ装っても、結局は哀訴でしかないことが見えてしまいます。そして、これだけの手紙を受け取りながらなお拒絶する中原素子は、ぼくのなかではどうしてもイメージが結べません。それにも増して、彼の遺稿集に自分宛の手紙を提供したことに恐怖します。どうして彼の棺に入れるか自分の胸に封印しておいてくれなかったのでしょう。この本を読み返すのも、やはりあの時代の疼くような懐かしさ自分を引き込んでくれるからだと思います。
③ コミックですが、司法試験の受験勉強をしているころから「少年マガジン」誌で読み続けていました。もてない、さえない、チビでメガネの「おいどんくん」こと大山昇太が、きれいな女性の、みせかけの優しさに振り回されて、コケにされて、バカにされて、それでも「おいどんにはまだ時間がある」「嗤った女どもをきっと後悔させてやる」と歯を食いしばって「明日のために今日も寝る」のが好きでした。いまでも時々棚から出して読みます。もうぼくには時間がありません。ぼくを嗤った女を後悔させることは遂にできませんでした。それでも、明日のために今日も寝るのです。
その後の「読み続ける本」
〇 本棚にあって、何度も読み直しているのは「明日のジョー」全巻です。コミックではあるけれど、奥が深いです。法科大学院の教員をしていた時代は個研の本棚に置いていました。院生にはアニメも含めてかなり知られていましたし、読み込んでいる院生もいました。ぼくの受験時代に少年マガジンに連載されていて、修習生になって松戸寮で最終回を読んだような気がします(もしかすると、もう少し前かも)。ともかく、幸い、もう受験のくびきから解放されていました。有名な、あの真っ白に燃え尽きたジョーです。ジョーが死んだのか、まだ死んでいないのかわかりませんでしたが、燃え尽きて終わったのです。
院生は「泪橋を逆に渡る」といいながら受験勉強を頑張って、そして合格していきました。試験勉強一色の受験時代は落伍者の集まるドヤ街だったのでしょうか。