貧乏神さん
それは、恐いというよりも、ちょっと滑稽なお話どす。うちをときどき呼んでくれはるおにいさんどすけど、あんまり冴えない弁護士さんどす。でも、うちらは「先生」と呼ばしてもろうてます。ちょっと甘えて呼ぶときは「せんせ」と言います。その先生の事務所どすけど、ビルの中にある普通のお部屋やそうどす。入り口は金属やのうて木で出来てるそうどす。そやさかい、「ペラペラや」てゆうたはりました。その先生が話してくれはったお話どす。
「つゆちゃん、ぼくの事務所にはな、いっぱい護(お)札(ふだ)が貼ってあるんや」
「せんせらしおすね。どんなお札どす」
「神社とかお寺で授かる護札知ってるやろ」
この先生、うちらとおしゃべりするときは、関西弁と京ことば、花街ことばの混ぜ混ぜどす。
「恵比寿さんの商売繁盛とかですやろ」
「うん、もちろん、それもあるけど、方除けとか、祈祷札なんかもベタベタ貼ってある」「鬼門の方角は、表鬼門も裏鬼門も集中的にいろんなお札が貼ってあるんやけど」
「ぎょうさんごりやくがありますやろね」
「それが、まったくない。だからこのとおり貧乏してますやろ」
「そんなことおへんどすやろけど、せいざいごりやくもらわはって、もっと、つゆ魅を呼んどくりゃす」
「よういうわ。滅多にきてくれへんくせに。つゆちゃんがきてくれるように頼むんやったらどこの神社のお札がいいんやろ」
「あんまりようけの神さんがいはったら喧嘩しはるんとちがいますか」
「ようけいはるもんなー。そやけど、貧乏神さんもいてはる、いや、おられるんやで。これはお札とちがうから、外から入ってきはるんやと思ってるけど」
「そんなんこそ来てもろとうないよって、お札で封じはるんどすやろ」
「そう思うてな、戸口の上の壁にもちゃんとお札を貼ってあるんやけど、あかんのや」
「大丈夫どすって。それで貧乏神さんは入れしまへんから、外で立ちどまったはりますって」
「いや、それが出たり入ったりしよるんや」
「『しよる』やなんて、お友達みたいどすね」「でも、見えるわけやおへんですやろ」
「見えはしないけど、わかるんや。戸がちょっとだけ開いたとおもたら、もう閉まってるんや。あんな隙間から出入りできるんやから、よっぽど貧弱な奴やと思うで」「『カチャ…』っていうてな、戸がゆーっくり閉まるときの取手にある留め金が落ちる音、わかるか?ちっちゃな音のくせいによう響くのや。それがしょっちゅうなんや。『あ、また入りよった』『あ、出て行きよった』とわかるんや」
「あほくさ。せんせだけどすやろ、それが聞こえるのは」
「そうやないって。お客さんと打ち合わせしててもな、ときどき『カチャ…』と、確かに一瞬戸が開いて閉まるときの音がするんや」「お客さんも気にならんはずがないやろ、振り返ってそっちの方見はるんやけど、もちろん、だーれもいやらへん。ぼくも知らんふりして話しを続けるんやけど、また『カチャ…』と聞こえる。そのたんびにお客さんはそっちの方を振り返らはるから、結構気になってるんやと思うよ」
「せんせ、ちゃんと戸が閉まってへんのとちゃいますか」
「そんなことない、ちゃんと閉まってる。それは見たらわかる」「それで、お客さんには『気にしないでください。あれは貧乏神が出入りしてるだけですから』というんやけど、冗談を言ってるとしか思われへん。笑うたはるだけや」
「いややわー。そんな貧乏神が住み着いたみたいな事務所、嫌がられしまへんのか」
「しょうがないやろ、ぼくの事務所が好きみたいなんやから」
「お祓いしてもらわはったらどうどす」
「別にかまへんのや。貧乏はずーっとしとるんやから」「それにな、お金の方がよっぽど魔物なんやで。みんな貧乏神を嫌うて、あの手、この手で追い出そうとするし、寄せつけんようにするけど、仲ようなったらそんな悪い奴やないとわかるもんや」「まぁ、お金には縁がないようになってしまうけどな、その方がええのや」
「そないなことゆうてんと、ええお仕事しはって、せいざい遊びに来とうくりゃすな」
「今日一日の飲み代があればそれでけっこう」「もう一杯ビールのお代わりお願いできるか」
ビールをおいしそうに飲んだはる先生のお顔はちょっと嬉しそうどす。
「つゆちゃん、だれか新規のお客さんがきはったんと違うか」
お玄関のほうで『カタン…』という音がしたんで先生がそう言わはったんどすけど、うちにも聞こえました。そやけど、だーれも入ってきやらしまへん。ということは、だれぞが出ていかはったんどす。
ふっとわかったんどす。それ、このせんせのお連れさんやったんや!